今さらだけど僕がAVを見る意味を確認しようじゃないか
僕がAVを見る、それは性行為を見ることです。その意味は性行為を単なる屈辱だと思ってる女の子とのしょっぱいセックスのイメージを頭から追い払い、伸び伸びとセックスを楽しめる女の子のセックスのイメージで頭を埋め尽くすこと、僕にとってのAVを見ることの意味はそれが中心です。
だからいわゆるLGBTという性的な少数者であろうと、セックスを楽しめる、よりレベルの高いセックスを見たい、そのスペクタクルを味わいたいという人全ての側に僕は立ちます。その意味で性癖は関係無いとも言えます。
ただ、この立場は(恐らく多数派には属するだろうけれども)、一つの性癖に過ぎません。僕らの世界にはLGBTの他にQという、性癖が定まっていない方もいて、その立場の方を無理やり巻き込んで、どうだ、セックスは素晴らしいだろう?と言うのは暴力に当たります。Qと呼ばれる方たちには、もしかしたらA-SEXUALという、生得的にセックスそれ自体に興味が持てないという方たちもいるかも知れません。僕らがその方たちのインテグリティを認めず、無理やり僕らの側に巻き込むこともやはり暴力、そして彼らを性的に未成熟として二級市民扱いすることも、やはり暴力だと僕は思います。
ただ、僕らは生きていかなければなりません。僕らは切実に楽しく伸び伸びとしたセックスのイメージを求めています。その主眼は身体的な充足感にあるし、時には狂おしくも愛おしいパートナーとの愛欲の交歓に至ることもあります。僕は良いセックスが称賛を受ける世界の住人です。その世界を壊そうという方がいるなら、その方がどの性癖の方であろうと、平等に、至極平等に僕らの敵であることを僕は宣言します。ここで言う「敵」というのは純粋に僕らの利害にとっての敵であり、敵の皆さんが自分の生きづらさの理由を僕らの活達さに求めたとしても、申し訳ない、あなたたちは僕らの敵だということになります。そこは本当にスッキリと言い切ります、僕らに敵対するあなたたちは、僕らの敵なのです。
AV強要が深刻な人権侵害であることに僕は同意します。そして人権侵害の抑止に関しては、僕らの「適正AV」業界を監視し、これ以上の作品拡散を望まないかつての演者の皆さんのデータ削除にかかる交渉をして下さっているAV人権倫理機構の方々の労を多といたします。
つい先日制定されたいわゆるAV人権法は、その自主規制の努力の結果を踏まえ、一歩進めたものとなっています。https://news.yahoo.co.jp/articles/1ad20c72ec9202f47cc53a47fe444e5fcea0ae48
僕は必ずしもこの考え方を否定するものではありません。適正AV業界の外にも、適正AV並の規制をかけるのだという趣旨ならば、反対のしようもありません。それでも適正AV業界は「一歩進めた」部分で、かなりバカにならない負担を背負わされた形になっているのは否定できません。
その上、規制を推進する立場の方からは、AV出演者をして不完全な意思決定能力しかできない二級市民扱いするような発言も多く見られ、当の女優からも強い不信感を持たれる事態となっています。AV業界の側に立つ僕に言わせれば、その不信感は当然と思ます。
https://www.theheadline.jp/articles/627
例えば上の論考は、様々な立場に等しく配慮した優れた論考だと思います。ただ、著者の石田健氏は「AV出演者の「被害者性」か「自己決定性」かという二項対立的な見方」にはあえて深く立ち入らない形で、その間を上手く漂うような巧みな泳ぎ方で論考を締めくくっています。決着がつけられない、あまり立ち入りたくないという気持ちは分かります。性の話はエキサイトするものだし、くだらないことに巻き込まれたくないという気持ちもあるのでしょう。
なので僕の立場から言います。AVというのは大競技場です。何を競っているか?性的な魅力を、セックスの質を競っているんです。加えて言うと、自分の性の力で、人の感情を動かす力を競っているんです。これ、幸福追求権の一つであり、表現の自由ですよ。被害者性か、自己決定性か以前に、AV女優のなけなしの憲法上の権利です。優れた論考を残された労を多とはしますが、この点はあいまいにしないでいただきたいと思います。
性的な魅力は一つじゃありません。清らかなほどにほっそりとした八掛うみも、弾けるようにグラマラスな北野未奈も等しく性的な魅力に溢れています。それを世に問うのがAVです。彼女たちの仕事の本質は自分の存在を懸けて価値を問うことなんです。過酷なほどにひしめきあっているから、日々様々な価値が生まれ、美の定義が日々更新され、日々新しい星が生まれているのがAV業界なのです。
フェミニストの皆さんには気にくわないでしょう。彼女たちの性的な魅力は、その受け手である僕ら男の欲望と対です。それはそうですよ。彼女たちの性的な魅力が分かるのはあなたたちじゃない、どうしようもないほどに僕ら男なのですから。
もちろん彼女たちに魅力があるという事実は、単に一回的な事実に留まらず、僕ら男が憧れる女の美しさというものを商業的に増幅、固定化し、構造化するに違いありません。しかし、性的嗜好の如何に関わらず、人は様々な性的な視線の中で、自分の性の重み、性的な価値を問う果てしない闘いの中にいるんです。どんなに生きづらさを感じようと、そのことを無しにはできない。
AV女優は不幸?そういう見方があるのは知っています。しかし、彼女たちは性的な価値を問う闘争の目に見えないトーナメントの勝者として、(もちろん多くの人には抵抗があると思いますが)カメラの前でセックスをすることで、自分の性的な価値を我々に問うブロの道を選んだ人たちです。僕は、彼女たちが、野球が得意でブロ野球選手になった人たちと何ら変わらないと思うのですが、その言い方は乱暴でしょうか?
以上、言いたいことを言わせていただきました。
これ以上AV女優から大切なフィールドを奪わないでいただきたいと、切に願うものであります。
くろがね阿礼 拝